三輪 準二(昭和62年卒)
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京都大学ホッケー部90周年おめでとうございます。4回生の時にちょうど60周年を迎え、それからはや30年、月日が流れる早さを感じます。
私が大学に入学したのは、S58年で、長いホッケー部の歴史の中でも非常に恵まれた時期に在籍することが出来たのではないかと思います。
1部リーグでの戦い、終了間際の得点で慶応大学を破ってのインカレベスト8(この時はホッケーでは珍しく一般紙(読売新聞、朝日新聞)のスポーツ欄に取り上げられました。記事の見出しで「京大 大金星」(当時の部員の声:「大金星」は大げさだろう。せいぜいいっても「金星」ぐらいだ。)、準々決勝で法政大学に0-8で負けても「京大は法大に惜敗」(同じく当時の部員の声:自分たちにとって確かに負けたのは惜しいけど、0-8じゃあ惜敗じゃなくて惨敗だろう)と新聞紙上を賑わせました)、また、創部60周年を迎えた京大で開催された七帝戦での優勝、と数々の思い出があります。
これまで、同時期にプレーをした皆さんからの寄稿では、「慶応大学に勝利、インカレベスト8」を取り上げている方が多かったと思いますが、実は私の中では、1部に残留できたことのほうがより感慨深いものとなっています。当時のリーグ戦での戦いを簡単に振り返ってみると、私が、入学したS58年の春リーグ、その前年度に3部で優勝したホッケー部は2部に復帰したところでした。入学後の2シーズンとも2部上位で1部との入れ替え戦に望んだものの1部昇格はかないませんでしたが、2回生時の春リーグでは2部で優勝し、5年ぶりに1部復帰を果たしました。が、残念ながらこの時は1部残留とはなりませんでした。部員一同1部復帰を心に誓い臨んだ3回生の春リーグ、なんと初戦から4連敗してしまい、全敗同士の戦いとなった関大との最終戦、何とか引き分け、かろうじて得失点差で最下位を免れ2部にとどまりました。(当時は下位リーグ優勝チームと上位リーグ最下位チームは入れ替え戦無しで自動的に昇格降格でした。ここで最下位、3部降格となっていたらその後の1部昇格、対慶応大学勝利といった躍進?もなかったかもしれません)。その後、3回生秋リーグでは、再び2部で優勝して1部復帰を果たし、4回生春・秋には2部との入れ替え戦となったものの勝利し、1部残留のまま卒業することができました。(このあとも1部に踏みとどまり、最終的に4シーズン連続で1部という戦績でした)
当時のホッケー部は強かったのか?今の大学ホッケー界の状況とは様相が違うので何とも言えませんが、何人かのテクニシャンといえるプレーヤーがいましたし、みんなよく走れていました。また、上昇気流にのり、個人個人の技術を超えるチーム全体に勢いがあったかもしれません。少なくとも、ここぞという勝負どころで粘り強く勝利した(もしくは引き分けた)という試合がいくつかあったことは間違いないと思います。
私自身は今ではすっかりホッケーから遠ざかっていますが、創部90周年記念祝賀会に参加して、私よりかなり上の大先輩の方々がOB戦に出ておられたことに大変驚きました。100周年には自分も!!とまでは約束できませんが、体力維持向上に向けもう少し頑張らねばと思った次第です。
現在のホッケー部は、男子部、女子部とも、数多くの新入部員を迎えて、部員数も充実しており、今後が期待されるところかと思います。男子部は近年2部上位におり、実力的にも1部に見劣りしない力を兼ね備えているかと思います。来年度には1部で試合をしていることを切に願っています。また、女子部においては、まずは部員を確保していくことに注力しつつ、リーグ戦で勝利を重ね、勝つ喜びを一つでも多く経験してもらえればと思います。