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藤井一郎君、大石哲也君を悼む

神田 元(昭和56年卒)

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 先日の90周年記念祝賀会(OB戦には、顔だけ出させて頂きました。)に参加させて頂きました。本当に久しぶりに(たぶん15年位ぶり?)京都を訪れ、もう卒業から35年が経ちますが、出席された諸先輩、同期、後輩の方々とお話しして、昔のことがどんどんとフラッシュバックしてきて、天下一品の3次会まで楽しく過ごすことができました。

 今回の祝賀会には私の期では、現在のOB会長を務められている白井君をはじめ、植山君、的場君、寺尾君が元気な顔を見せられておられましたが、藤井一郎君、大石哲也君が、再会の場におられないことが非常にさびしく思いました。皆様ご存じのとおり、お二人ともお亡くなりになっておられます。

 大石君は、現役時代、私と同じバックスを務められていたのですが、ちょっとのことで動揺する私とは違い、沈着冷静なプレーを何時も継続して、チームの勝利に貢献されていたことが印象的でした。普段の大石君も余分な口数の少ない落ち着いた性格の人であり、人間的に非常に尊敬できる人でした。金属工学を専攻されていたので、卒業後、川崎製鉄に入社されたのですが、卒業後にお会いできる機会が無く、長年不義理をしていました。お元気に活躍されていたと思っていましたある時、同君がガンでお亡くなりになったというニュースを聞いて非常に驚きました。まだお若くこれからということで、さぞご本人が悔しい思いをされたのではないかと思う次第でした。

 藤井一郎君は、現役時代、私の期のキャプテンを務められて、ポジションもその性格にあっていたフォワードで大活躍をされていました。数少ない(?)京都出身者で、名古屋出身の私の名古屋弁を何時もからかっていました。同君は経済学部で私と同じ文系であることもあり、就職のことなどでも色々とお互い相談していたことも思い出です。同君も、卒業後、大石君と同じ川崎製鉄に入社され、千葉製鉄所に転勤されてからはずっと千葉に住んでおられたこともあり、ちょくちょく東京に所用で来られた時など会食をしておりました。最後にお会いしたのが、お亡くなりになる1年ほど前で、蔵前のドジョウ鍋屋でドジョウ鍋をつつきながら、色々なことを話したことを思い出します。お亡くなりになったことを知ったのは、同君の奥様から、朝起こしに行ったら、眠るように無くなっておられたということをお聞きしてのことでした。その頃、私が年末恒例の東京OB会に参加し始めた頃であり、藤井君にも参加を勧めたら、「そうだなあ、それならば来年から参加するか。」と行っておられたのですが、実現しなかったのは残念至極な限りです。

 まだ壮年期といえる私の期で二人も鬼籍に入られているのは、私の小中高時代、会社時代の友人たちもまだまだ皆さんお元気なことと比較しますと、悔しく思います。90周年祝賀会にお二人がいらっしゃったら、さぞや盛り上がったことと思うと残念至極でなりませんが、改めてお悔やみを申し上げますとともに、自分自身残りの人生を頑張っていかなければならないと思った次第です。

以上