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アポロが月に着いた頃

里内 清(昭和45年卒)

p59

 今回の創部90周年祝賀会に参加して、井川理事が現役生にたいそう慕われている様子を見てうれしく思いました。私は彼とは同期で、以前、野間先輩が会誌に書いておられたいわゆる前世紀に全盛期を迎えた41年組が抜けた年の5月に入部しました。

 

 4年生は井上先輩お一人で、その年の東大検見川グランドでの七帝戦は最下位、続く秋のリーグ戦も二部最下位、当時、関西リーグは12チームで二部までしかなかったのでまさしく底の底を見ることとなりました。翌年になってもあまり盛り返すことは出来ず、リーグ戦、七帝戦ともブービー付近を漂うような戦績でした。そのような状況の中、遅れて入部してきたのが井川理事。スポーツ会館での合宿でなんとなく漂う暗い雰囲気にも我関せずのマイペース、思いっきり練習した後は布団の中で当時流行っていたピンキーとキラーズの恋の季節「青いシャツ着てさ」と応援歌「新生の息吹に充ちて、息吹に充ちて」を「しんせいの、いこいにホープ、いこいにホープ」と何度もやって周りを呆れ返していました。恋の季節の「青いシャツ着てさ」は懐メロで時々やっているのでご存じの方もおられるでしょうが、禁煙が徹底した最近の若者にはしんせい、いこい、ホープがたばこの銘柄とは判らないでしょう。もっとも我々の世代が「しきしまのやまと心を人問わば、あさひに・・・」と言われて何のことと思ったのと似た様なものですが・・・

 

 時間がすべてを解決するのでしょうか、それともこれではと奮起するのでしょうか、チームは徐々に力をつけていきました。そして最終年で迎えたのが北大主管の七帝戦。東大戦が優勝のかかった最終戦で、大会本部から応援団がエールを送るという連絡で試合前、猿谷キャプテン以下全員が整列してあの京都大学第一応援歌を聞くことになりました。「これまで応援団はホッケーなんか見向きもしなかったのに、やっぱり強うならんと」と感情が昂ってきたのに、いざ心の中で唱和する段になって思わず「しんせいの、いこいにホープ」となりかけ、咄嗟にここは神聖な時と気を引き締めました。その甲斐あってか結果的には優勝することが出来ました。宿舎に帰って祝勝会をやり、その勢いで大通公園まで行進しテレビ塔近くの噴水に着水しました。ちょうどアポロが月に着陸した頃です。それからしばらくして45周年のOB戦だったと思うのですが、当時部長だった井上健先生から一高との定期戦で東京に遠征し、帰りの数寄屋橋でドイツがポーランドに侵攻したことを知ったとお聞きして平和な時代で良かったなと思ったものです。

 

 北海道放送から優勝の表彰状を5枚程もらいました。所用で道内旅行には行けなかった自分が預かって京都まで大切に持って帰りました。部室に一つ置いて、あとは4年生で分けたように思います。もう残ってなくて、もし必要ならお申し付けください。