· 

親子三代のホッケー

 

奥島俊介(昭和41年卒)

p56

 私がホッケーのスティックを持ってグランドを走り回っていた時から半世紀以上が過ぎ去りました。学生時代に東京オリンピックがあり、また社会人になってからは、カナダにいる時にモントリオールオリンピックでホッケーの試合を見る機会がありました。事務所のあった場所から歩いて5分ぐらいの所にホッケーの会場があったのです。試合場は豪華なスタジアムではなく大学のアメリカンフットボールのスタジアムをそのまま使っていました。試合を見ながら、自分も走り回りたい気持ちになったことを思い出します。

 

 東京に住むようになってから休日などに庭でスティックと野球のボールで遊んでいたのを子供が見ていたのか、上の娘が大学に入ってホッケーを始めました。当時私は単身赴任で東京にいなかったのでどのような経緯で娘がホッケーを始めたのか知りません。とにかく娘と共通の話題が出来たのが嬉しかったことを覚えています。私の家族5人全員学士時代は体育会の運動部に所属していました。家内はテニス、娘二人はホッケーとスキー、息子はアメリカンフットボールで汗を流していました。

 私にとってホッケーは人生の大きな部分を占めています。月並みな言い方をすれば、工場の現場で24時間以上休まず仕事をすることが出来たのも、夏の炎天下で水も飲まずに走り回っていたことを思えば簡単なことでした。子供たち3人はいつも互いに励ましあい、家族の間で運動という共通語があることは素晴らしいことと思っています。

 

 上の娘は渋谷のホッケー協会に勤めていたこともありました。娘の主人は元全日本のホッケー選手で、今は宮城県の栗原市に住んでいて、地域でホッケーの普及に尽力しているようです。このような環境で栗原市築館に住んでいる二人の孫たちも地域のスポーツ少年団でホッケーを始め、上の孫は中学校のホッケー部で毎日汗を流しているようです。私も年に4,5回築館に行き、スポーツ少年団の練習を見ながらスティックでボールを触っています。小学生の孫と一緒にボールを触りながら、親子3代でホッケーをやっていることを思うと本当にホッケーをやっていて良かったと思います。

 現役のホッケー部が東京に遠征に来た時は出来るだけ試合を見に行くことにしています。今のホッケー部は、部員の数も多く活気に満ちていることは心強いことです。一日も早く1部に上がることを願っています。また女子部については、春に東京に遠征したときに比べ、夏の試合を見てその実力が大幅に向上していることに驚きました。部員の数も増えたこともあり、一層練習に励んでもらいたいと思います。

 

 先日90周年記念の日に半世紀前の自分を思い出しながら、綺麗になった農学部グランドをスティックを持って走れたことは良い思い出になりました。このような機会を作っていただきました方々に感謝いたします。