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創部90周年の年に、グレた部長より

部長 富田直秀

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 まずは、90周年おめでとうございます。90周年記念パーティーでは、初めて知るホッケー部の歴史も多く紹介され、語られる方々の熱い思いに、しばし酔いしれていました。ホッケー部90年の歴史や、そこに語られた物語は、みなすばらしいものですが、私には、語るOBの方々の心の中に動いている「詩」のようものが特にすばらしく感じられました。いいですね。本当にいいですね。見た目は、私と同じようにしわくちゃの顔ですが、そこに若人の血気が見えたように感じました。もしかすると、少なくとも90周年記念会の間は、現役諸君よりも、OBにこそ、より若々しい表情があったかもしれません。

 ところで、ホッケー部の現役・OBの皆さんには、今はじめてご報告をするのですが、私は昨年(2015年)の夏に還暦を迎えまして、これを期に、徹底的にグレることを決意いたしました。グレる、とは、何が正しいかの前に、何が本当か、を考えることです。「正しい」は矛盾を含みませんが、「本当」は矛盾を含みます、そうして矛盾の根底には「私が私であること」があります。この「私が私であること」が、先に述べました、心の中に動いている詩のようなものなのだと思います。教員の生活を長らく続けていますと、何が正しいか、ということに対する答えの出し方に対してはそれ相応に経験を持つのですが、何が本当か、に対しては盲になってきます。そうして、あれが欲しい、これが良い、あれが楽しい、といった表層の欲求や感情に惑わされて、心の奥底にある、本当の自分のようなものが見えなくなってくるように思います。私がグレることを決意したのは、専門である医療の世界が、あれが欲しい、これが良い、あれが楽しい、といった表層の欲求にふりまわされてきている、いやもっと正確に言いますと、現代では、技術や生産によって作られた表層の欲求にヒトがふりまわされてしまっている、と思うからです。

 このことは、医療に限らず、たとえば大学におけるスポーツ活動など、あらゆる問題にも関係があるように感じています。作られた欲求にふりまわされて、本当に何をやりたいのかが見えにくい時代における大学スポーツは、今までと違った、より大きな意味を持っていると思います。

 グレる、といえば、女子部創生を果たした水原さんたちのグレ(詩)には、さすがのOBの古ツワどものグレも敵いませんでしたね。ワルを覚悟してあれこれ物語を語る先輩たちも、女性たちの一途さと美しさを前に完敗でした。しかし、彼女たちのグレ(歌)に、本当に負けたのは私なのかもしれない、とも思っています。昨年あたりから、いろいろなところでグレた姿をお見せしている私も、ホッケー部に関してだけは、とにかく、経費はどうしていくのか、女子部員が顔に傷を負ったらどうしよう、、などと、事なかれ主義の木っ端役人のようなことばかり心配しています。

 短い文章となってしまいましたが、とにかく、くれぐれも怪我や事故のないまま(もちろん男子部も女子部も)、しかし、本当の自分はいったいなにをしたいのかをしっかりと見定める(グレ)も、各自大切にしながら、次の100周年を迎えられますよう。