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帝國大學ホッケーリーグ戦の生い立ち

京都帝國大學學友會ホッケー部
京都帝國大學學友會ホッケー部

p147

 昭和四年三月全國高等學校ホッケー大會の開催の目的より帝國大學ホッケー聯盟の結成を見て以来既に六星霜、インター・ハイは誠に健實な過程を辿つて進展したが、帝國大學ホッケー聯盟の最も重要な行事たるべき帝國大學リーグ戦は、久しい間の懸案として遺されて居た。

 九大、東大より熱心な希望があり、殊に新聞社の後援問題より歴史ある對九大定期戦を中止すべき地位に置かれた本學としてはリーグ戦の成立に最も熱心であつたのは當然であらう。

 一方北大も又同學に於て保管されて居た聯盟結成當時の貴重な聯盟規約及びインター・ハイ大會規約の複寫を送附される傍帝國大學リーグ戦規約の原案を提出されし等極めて眞劒な熱意を寄せられた。

 斯く加盟者は一の例外なくリーグ戦の成立を祝福せる状態に於て昭和九年十二月、しかも年末の三十一日學生集會所のランチの夕食をつゝき乍ら九大側、伊藤、東大側、中井、佐々木、北大路、福島、小松、北大側、都築、城生、本學側、片桐部長、山本、中澤兩先輩、清水、笠木、櫻井、井田、小倉、杉浦參集、本學より提出の原案によつて主として討議が重ねられたる後、別記の如く従來の聯盟規約及びインター・ハイ大會規約の改訂及帝國大學リーグ戦規約の創案を得、茲に永年の懸案は解決せられるに至つた次第である。

 即ち先づ次の聲明書を発表し以て學内の文部當局に送附した。

【 聲 明 書 】

 我等ハ昭和九年十二月三十一日帝國大學ホッケー聯盟第六回常務委員會ニ於テ左ノ事項ヲ決議ス

一、帝國大學ホッケー聯盟規約ニ基キ昭和十年九月上旬第一回帝國大學ホッケーリーグ戦ヲ東京ニテ開催シ爾後東京、京都交互に毎年之ヲ行フ

 右聲明ス 昭和十年二月五日

帝國大學ホッケー聯盟 第六回常務委員會

代表委員 清水 信男

同    中井 敏夫