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京大學友會ホッケー部の思い出 「編集中」

三輪 龍太郎

P.15

 陸上ホッケーが吾國に輸入されたのは、すでに数十年前の事と聞き乍ら、關東地方では之が輸入元租慶應大學を始め東都諸大學に於てホッケー部が各學友會の一獨立部として存在活躍してゐた大正の末期に於て、關西地方は僅かに神戸在留外人チームと關西倶樂部(早慶出身在京阪者を主體とす)の二チームが存在するに過ぎない殆んどホッケー競技としては未開の土地であつた。大正十五年春東京帝大ホッケー部宿將飯田洋二、葦澤清の兩君が吾が京都帝大にホッケー部設立促進運動の爲め旁々コーチを兼ねて入洛高校關係の知己を集めてホッケーのABCを解き且つ秋のスポーツ・ウイークにはオープン・ゲームとして對校戰の出來る様學友會に對し種々盡力して呉れたのであつた。いはゞ兩君は吾が京大ホッケーの産みの親とも云う可きで、今その内の一人葦澤君が不幸早逝されあたら有爲の材を空しく黄泉の旅に立たしめた事を想起する時、京大ホッケー部の十周年記念を祝する此の一文に於て謹んで同氏の靈に哀悼の意を捧げ度いと思う者である。

 兩君の在洛約二週間後吾々同好の士は時に關西倶樂部のコーチを受け等し乍ら主として書籍を頼りに研究を續ける一方農大グランドを之を正式に使用出來ぬ爲め常に處々轉々としてグランド行脚をせねばならなかつた。そして九月に入つてから一同合宿して専ら對東大戰一つを唯一の目標として根限り練習を重ねて行つた。當時理學部の研究室に居られた島五郎氏がその昔慶應在學中にホッケーをやられたとの事を知り同氏に御願ひして常にグランドに出て頂き種々コーチを受け且つ激勵されて一軍を統率して頂いた事が成立間も無い京大ホッケー倶樂部の將來への確固たる基礎を造り又一面東大戰にも第一回對抗競技として遜色も無く對等に戰へる迄に成育し得たのであつて、更に同氏は吾京大ホッケー部擁立の礎とも申す可きである。斯して第一回對東大戰はスポーツウイークにオープンゲームとして東大を白川のグランドに迎へたのであるが5-1で接戰をし乍ら細い技術に未だ足らぬ處があつて敗れたのであつた。その年の秋神宮競技に倶樂部チームとして關西より一チーム参加する事となり關西倶樂部に藤森、三輪の二人が加つて外苑のフィールドで日本鉛筆、秋田倶樂部と戰つて之を敗り戸山との決戰は棄権して歸つた。此の神宮競技への二人の参加は三高、關西倶樂部、神戸外人と三チームしか對抗試合の相手を持たなかつた關西に於ける吾々に東都諸豪の模範試合を眼前に見て大いに後日の爲め裨益啓發さるゝ點があつた。斯して年末神戸外人との一戰を最後として京大ホッケー倶樂部誕生の第一年を終つたのである。第一年度のメンバー左の通り、

 LW 三 輪

 LI 兒 島

 CF 横 澤 主將

 RI 石 黒

 RW 管 田

 LH 狩 野

 CH 島

 RH 毛 戸

 LF 增 田

 RF 藤 森

 GK 井 田

增田、河野二氏の卒業せられし後、島氏も研究多忙の爲めメンバーより脱せられコーチとして僅かに時折グランドに出られる事となつた為闘將三氏を失つたホッケー倶樂部二年は引續き創業の苦難を舐めねばならなかつた。

 幸いにして三高及松本高校より有能の士を得て四月早々新チームを編成グランドも農大グランド使用に付て、學友會内の協定を得専ら關西倶樂部、三高を相手に練習し旁々九州帝大に呼びかけて秋の對東大戰への血祭りに先づ九大と定期戰開始の事を交渉の結果大朝後援の下に十月初旬を期して之を行ふ事に決定した。此の年始めて愛知醫大チームを迎えて練習試合を行ふ。

 斯して十月に入り大朝後援對九大戰は九大を白川に迎へて之を六對零で軽く倒し、神戸外人チーム等と試合して専ら東大戰に整へたのであつたが再度來征せる東大チームには不幸惨敗を喫したのである。思ふに意氣と體力に於ては決して敗れるものでなかつたのであるが如何せん兵法を知らずで細かいステイツク・ワーク等では未だ充分研究の餘地ある事を立證せしめられた次第であるがかくて倶樂部チームとしての二ケ年の辛苦は部員一同の眞面目な努力と校友一般の新しい競技に對する理解とを得、他方藤森主將の學友會各部に對する諒解運動亦奏効し始めて第三年目である昭和三年四月より學友會内の一部としての吾京大ホッケー部の誕生を見得たのである。そして初代部長として農學部の菊池秋雄先生をお迎えし又始めて學友會からも僅かながら部費を支給されホッケー部も漸く一人前としての存在を捷ち得るに至つた次第である。此の年横澤、藤森、管田、石黒、中村、狩野氏等創立當時の闘將多く卒業さる。斯してホッケー部成立の宿願を達し得た吾々は二ケ年の創業苦難時代に鍛練された不撓不屈の精神と團結力とを以つて、

(1)先輩の努力に依り漸くにして捷ち得た今日のホッケー部の存在と名譽の為め之が守成を計り且つは將來への躍進の為め一同更に相協力して目的の成就に努める事。

(2)未だ關西地方にはホッケーを理解し競技を行ふ者少きを以て機會ある毎に之が宣傳に努める事。

(3)對東大、九大戰に必勝を期す事。

を念願して四月早々新チームの編成にかゝたのであつた。

 FW 上島、國井、積良、三輪、杉原

 HB 芳賀、唐澤、望月

 FB 南、 師井

 GK 井田

 マネージャー 淺井