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十年間の努力

學生主事 大野 熊雄

P.10

 委員から幾回と無く厳しい原稿の督促に、なんにも纒らぬ事を筆にして責を塞ぎたいと思ふ。

 第一ホッケーに關しては全然無知識であるのだが長らく學友會の専務幹事をやり、本學々友會にホッケーが部として設立された時から知つてゐる關係上、色々な斷片的知識は授けられて居る。

 ホッケーは多分英國が本家本元と聞いて居る、併し日本にも古くから之に似た遊びはあつて外國専門のものでは無い。勿論偶然の一致ではあるが、東北地方や鹿児島邊にも、ハマナゲとかハマとか云ふて、スティックに代わる先の曲つた自然木で子供が遊んでゐる。

 日本には何時頃から此のホッケーが來たか知らないが、多分明治四十年頃から傳はつた居ると思はれる。此の技の特徴として、老若男女、年齢の差を問はず何人にも出來ると云う事と、時季と云うものも無く、割合經濟的で學生には至極適當の運動方法と思はれる點などで、陸軍では戸田學校を始め各學校で非常な勢を以て發展して來たものだ。

 東大のホッケー部で次の様な事を書いてあるのを何かで見た事がある。「すべての人々よスポーツを愛せ。スポーツを友とせよ。すべての人々が選手であれ。之程愉快な赤裸々な、微妙な、藝術のあらゆる條件を具備したスポーツに對して、何人が躊躇を敢てするか。技術を持たない。體力も無い廣きグランドも無いスポーツ界の無産者達よ。私達が現に行つてゐるホッケーはそうした意味に於ては最も手近な、入り易いものであると確く信じて疑はない。」と。

 京大ホッケー部もいつしか十年の月日が流れた。此の十年間に其の年々の委員達の努力と奮闘と熱と意氣には年々接臅してゐる私には涙ぐましく感ぜられる事である。十年間は將來長かるべき久遠の時には一瞬間に過ぎなかろうが、最初の十年こそ其の部の省長に關する一大基礎を爲すものである。此の涙ぐましい最初の委員、部員達の努力に對し、次に來るべき部員達はその丘に一大殿堂を築き上げる事に渾身の勇猛力を奮はねばならぬ。十年の努力を感謝し、あはせて此れを祝賀すると共に各員の健闘を祈る次第である。